辻利のあゆみ

宇治茶の誉れと日本の茶文化を守り、その心を今に伝える老舗「辻利」。

昼夜の温度差により霧が発生しやすく降水量にも恵まれた良質な茶の産地、宇治。
古くから日本の茶文化の中心であったその土地で、お茶の老舗「辻利」は生まれました。

創業萬延元年(1860年)、幕末動乱のなか、宇治の茶師達は徳川幕府の庇護を失い、宇治の茶園は荒廃の一途をたどっていました。

その様子を憂いた「辻利」の創業者「辻利右衛門」は、保存性の高い茶櫃(缶櫃)を考案してお茶の販路を拡大し、また玉露の茶葉を針状の美しい鮮緑に仕上げる「玉露製法」を確立。高級茶の代名詞とも言われる宇治茶の名声の礎を築きました。

茶業の改善に大きく貢献した「辻利」のあゆみは、宇治茶復興の歴史とも言えるでしょう。

辻利右衛門は宇治茶復興の立役者として緑綬褒賞を授賞。世界遺産 平等院の正門横に銅像が建立される栄に浴しました。

辻利の精神

 型や決まり事を守り身につけること
 他の良いところを取り入れること
 独自に新しいものを生み出し確立させること

千利休が説いた「守破離」。
辻利は、伝統的な製造法を守りながら、
型にとらわれない茶の新しい可能性を探求しています。

辻利の歴史

1844

辻利右衛門誕生

山城国久世郡宇治郷に生まれる。

1860

辻利創業

幕末動乱のなか、宇治の茶師達は徳川幕府の庇護を失い、宇治の茶園は荒廃の一途をたどっていた。
その様子を憂いた辻利の創業者 辻利右衛門(当時17歳)は、茶畑3反と大門の土地が売りに出たのを買い取り辻利を創業。

1872

新玉露「大門」の流行

辻利右衛門は柔らかいてん茶の生芽を揉んで作る製法に目をつける。それは「玉露」といわれ、名は立派だが色澤香味が悪かった。これを改良することで宇治のてん茶の需要が増えると考えた辻利右衛門は、端正で一文字の形、光沢があり、香味芳醇なものに仕上げた。これを「大門」と名づけ、辻利右衛門は自らこの商品の素晴らしさを説き、世に広めていった。

1889年頃

茶櫃(ちゃびつ)発明

茶の輸送保存について、徳川時代からの茶つぼにかわる資材として、木の箱(従来の茶櫃)の内側にブリキをはりつけた缶櫃を発明。これが今の茶箱の基となり、防湿と運搬・取扱いに優れたこの新作茶箱の発明により、茶業界に流通革命をおこした。この後全国の茶商がこれを利用することとなる。

1897

辻商店の繁栄

辻利右衛門は54歳となり、40名の社員を従え、販路は東北~北海道、西は九州にいたるまでとなる。

1927

利右衛門、緑綬褒章授与

宇治茶への功績を讃えられる

1933

平等院境内の辻利右衛門像建立

1935

三代目 利一継承

1951

利一、昭和天皇に宇治の茶業事情を説明

1955

四代目 利雄継承

1981

辻利一、勳四等瑞宝章を拝受

利一、永年の功績により勳四等瑞宝章を拝受。

1991

宇治田原工場を新設

1998

五代目 俊宏継承

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